生き残った赤穂義士寺坂吉右衛門
わずか10ページの小冊子だけれど、寺坂吉右衛門さんが敵前逃亡したのではなく、前もって決められていたということが書かれていて、嬉しい気分になった。
逃亡説は後になって言われた事であり、討ち入りの約一月前には決定していたことが残された関係者の書簡に書かれていたそうだ。
討ち入りの一隊から離れた寺坂吉右衛門さんは、広島の浅野家へ報告、その後、江戸へ戻り自訴して出たが見逃され、83年の生涯を終えたそうだ。
ただ、この冊子にも花岳寺の義士出立図で一人だけ後ろ向きに描かれていた理由は書かれていない。
ところで、当たり前とはいえ吉良上野介についての描写があまりに「ロクデナシ許すまじ」な書かれ方だったのが気の毒なような(NPO法人忠臣蔵を守る会の小冊子だから仕方ないか)。
吉良上野介の肩を持つ訳ではないけれど、領地の人々からは慕われていたという。
どんな事も人も、一方的な見方だけでは判断できないと言う事が分かる。
by uiuilog
| 2011-06-23 16:54
| 読書